東北地方太平洋沖地震 未選択 2011年03月13日 はじめに、この地震で被災された方々のご無事と一日も早い復旧を心から願います。 災害で亡くなられた方のご冥福を心からお祈りします。 管理人は秋田在住ですが、秋田は地震による直接の被害はほとんどありません。 道路の陥没や電信柱が倒れる、といったことはありましたがそれもごく一部です。 一昨日の地震から昨晩まで広範囲にわたって停電が続いていましたが復旧し、通常の生活が戻っています。 電気がつかないだけでここまで不便なら、ほかのライフラインが落ちている被災地の方々はいったいどれだけ不便なのだろう。 被災地のかたに何もできないのがとても歯がゆい。 それで、ようやくこちらも落ち着いたので地震の経過をたどってみたいと思う。 これが今回の本震。管理人は学校で授業中でしたが、コンクリート製の学校も大きく揺れました。棚から物が落ちることはありませんでしたが足元の戸棚が開き中のものが転がり出てきました。 そして下校中、再び揺れを感じました。 この地震の前にも2~3回揺れを感じましたがどうやら三陸沖の余震のようです。秋田でも震度3~4を観測していました。 この地震でも震度3です。徒歩で移動中だったため三陸沖の地震の時よりは揺れを感じませんでした。 その後帰宅しようとしましたが、電車が止まっているため帰宅できず。 このときは、4日前の地震の時と同様すぐに復旧すると思っていました。秋田も震度4くらいだと。 とりあえず学校近くの祖父の家に一時帰宅して、ラジオを聞いて愕然としました。 まず、M8.4(当時はそう報道されました)の超巨大地震で、宮城で震度7だということ。先日も自信があったのにまただなんて…!と絶句しました。 そして、秋田でも震度5弱を観測、県全域で停電しているということ。まさかここまでの被害が出るだなんて思ってもみませんでした。 ニュースを聞いていると、津波の話が聞こえてきました。 そのときのショックは言葉に表すことができません。10mの津波だなんて、陸前高田市が壊滅しただなんて、名取川が逆流して町が飲み込まれただなんて、だれが予想できたでしょう。本当にショックで、驚くこともできませんでした。くりかえすようですが、言葉にできませんでした。絶句です。 八戸が、気仙沼が、塩釜が石巻が相馬がみるかげもなくなっている。信じられ刈田ですし、今でも全く信じられない。 愕然としつつ、自分たちの生活も守らなければならないので身辺の状況を確認しましたが、とりあえず電気以外のライフラインは無事でした。 http:// [0回]PR