磐城高校のトッカータとフーガ 音楽 2011吹奏楽コンクール 2011年10月24日 こんばんは。とりあえず今ツイッターで全団体の感想を思い出しながら書いて整理してるところです。後々またまとめて書きたいんですが…ちょっとこの演奏についてまっ先に触れたかったので。 今年の全国の部の中でもかなり有名な演奏であろう、磐城高校のトッカータとフーガ。結果は銀賞でしたが、会場が大きく湧いたのは現地でいた僕にはよくわかりました。 演奏後、「ブラヴォー」と叫んだ中に僕もいます。咄嗟に出ました。いつもの自分なら、演奏中「若干派手すぎるかな…」とか思ってたりしたので、叫ばなかったかもしれませんが、なにかこう、書くとウソっぽいですが本当にです、自然と出てました。 今もう一度録音を聞いて、親と話しながら気づいた、というか感じたのですが、この派手さは派手なだけじゃないのではないか、と。 いつもの磐城以上に気迫のある演奏でした。鬼気迫るものがある、というかある意味神がかった部分もビリビリ感じました。それが僕の「ブラヴォー!」につながったのだと思います。 では、その根底は何か。答えは簡単なように思えて深いものです。 この、バッハらしからぬ明るめで力あふれる表現が、もし震災からの復興、そして希望を表していたら。 この曲を選んだのが、ところどころ普通のバッハに戻る意味が、鎮魂のためであるとしたら。 もし、意図的そういった表現をしたのではないにしろ、生徒のそういう「心」がこの演奏につまっていたとしたら。 それがにじみ出て、この演奏ができたとしたら。 すべてにおいて if のはなしです。合ってるかなんてわかりません。でも、そう考えると、なるほど、と思えたりするのです。 言葉にすると薄っぺらです。わかりにくいかもしれません、僕にはそれだけの文才は無いので。 だけど、もし演奏をCDで聞く機会があれば、もし演奏を生で聞いた人がいたら、考えてみてください。 派手だ、課題曲はよかった、普通の編曲でよかったのに、と言う前に。 この曲じゃなきゃいけない理由が、この演奏になるのが必然である理由が、そこにあるかもしれません。 もう一度録音を聞いて、生の演奏を思い出して、涙が止まりませんでした。生徒の心がそこにある気がしたんです。 間違いかもしれません、あくまで僕の解釈ですから。でも、この演奏には絶対「心」が、というか強い強い「信念」があると思うんです。 絶対同じ楽譜でも他の学校には演奏できない。2011の磐城のメンバーだからできたこの演奏だと思うんです。コンクールの評価のためだけではない、むしろコンクールのためなんかではない演奏なんじゃないでしょうか。 ひとりでも共感してくれる人がいると嬉しいです。この記事をかきながらもちょっとモニターが霞んでます。 http:// [29回]PR