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更新は頻繁になったりならなかったり。

磐城高校のトッカータとフーガ

こんばんは。とりあえず今ツイッターで全団体の感想を思い出しながら書いて整理してるところです。後々またまとめて書きたいんですが…ちょっとこの演奏についてまっ先に触れたかったので。

今年の全国の部の中でもかなり有名な演奏であろう、磐城高校のトッカータとフーガ。結果は銀賞でしたが、会場が大きく湧いたのは現地でいた僕にはよくわかりました。

演奏後、「ブラヴォー」と叫んだ中に僕もいます。咄嗟に出ました。いつもの自分なら、演奏中「若干派手すぎるかな…」とか思ってたりしたので、叫ばなかったかもしれませんが、なにかこう、書くとウソっぽいですが本当にです、自然と出てました。

今もう一度録音を聞いて、親と話しながら気づいた、というか感じたのですが、この派手さは派手なだけじゃないのではないか、と。

いつもの磐城以上に気迫のある演奏でした。鬼気迫るものがある、というかある意味神がかった部分もビリビリ感じました。それが僕の「ブラヴォー!」につながったのだと思います。
では、その根底は何か。答えは簡単なように思えて深いものです。

この、バッハらしからぬ明るめで力あふれる表現が、もし震災からの復興、そして希望を表していたら。
この曲を選んだのが、ところどころ普通のバッハに戻る意味が、鎮魂のためであるとしたら。
もし、意図的そういった表現をしたのではないにしろ、生徒のそういう「心」がこの演奏につまっていたとしたら。
それがにじみ出て、この演奏ができたとしたら。

すべてにおいて if のはなしです。合ってるかなんてわかりません。でも、そう考えると、なるほど、と思えたりするのです。
言葉にすると薄っぺらです。わかりにくいかもしれません、僕にはそれだけの文才は無いので。
だけど、もし演奏をCDで聞く機会があれば、もし演奏を生で聞いた人がいたら、考えてみてください。
派手だ、課題曲はよかった、普通の編曲でよかったのに、と言う前に。
この曲じゃなきゃいけない理由が、この演奏になるのが必然である理由が、そこにあるかもしれません。

もう一度録音を聞いて、生の演奏を思い出して、涙が止まりませんでした。生徒の心がそこにある気がしたんです。
間違いかもしれません、あくまで僕の解釈ですから。でも、この演奏には絶対「心」が、というか強い強い「信念」があると思うんです。
絶対同じ楽譜でも他の学校には演奏できない。2011の磐城のメンバーだからできたこの演奏だと思うんです。コンクールの評価のためだけではない、むしろコンクールのためなんかではない演奏なんじゃないでしょうか。

ひとりでも共感してくれる人がいると嬉しいです。この記事をかきながらもちょっとモニターが霞んでます。

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