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交響曲第5番「革命」より 第4楽章(10月6日)

本日は全日本吹奏楽コンクールライブ録音から。



第57回(2009年)全日本吹奏楽コンクール。
原田学園鹿児島情報高等学校(指揮:屋比久勲) 銀賞
交響曲第5番「革命」より 第4楽章
(D.ショスタコーヴィッチ/C.ライター)




今回は演奏よりも団体、もとい指揮者の屋比久先生にスポットを当ててお話しします。
まあ、屋比久勲先生というと大部分の人が福工大城東のイメージを持つのではないでしょうか?タッド鈴木先生に次ぐ福工大附属高校時代からの指揮者として同校を何度も全国金賞に導いた名指導者、というのがやはり一番有名なところでしょう。しかしながら屋比久先生のすごさはここでとどまるわけではないのです。時系列に沿って順番に見てみましょう。

屋比久氏は当初沖縄県内の小学・中学校の教員をしていました。
赴任した学校の中で初めて全国大会に連れて行ったのは沖縄市立真和志中学校。1972年、トッカータとフーガを自由曲に全国初出場、いきなり金賞名演を残しています。その後1975年に同市立石田中学校に赴任、その年にもう全国銀賞にまで導いています。同校は'80のシチリア島の夕べの祈り序曲の名演(もちろん金賞)を残しています。その後も1983年同市立小禄中学校、1988年首里中学校に転勤しどちらも全国銀賞にまでひっぱっています。ちょっとチェックすべきところとしては、屋比久先生が転任してもその学校がまだ全国に出場し続けていること。

そしていよいよ1990年福岡工業大学附属高校に移り、2年後の'92年(自由曲はあの豪快なハンガリー狂詩曲第二番)で全国デビューを飾り、その後2006年まで同高校の指揮者として幾多の名演奏を残してきたのでした。また、2007年からは原田学園鹿児島情報高校に移り、赴任二年目2007年から同校を全国大会につれてくるという偉業を成し遂げています。そして今年ついに三出達成!これからが非常に楽しみです。

こうして振り返ってみると屋比久氏は真和志中学校以降、赴任した学校すべてを赴任二年目以内に全国大会につれていっています!実に驚きの事実。屋比久バンドだからこそできる偉業なのでしょうかね。

…っとついつい前置きがながーくなってしまいました。屋比久先生がテーマソングのようにしてるトッカータとフーガ(いつもE.ライゼン編曲)とならんでこちらもテーマソングにしてる?(いつもC.ライター編曲)「革命」の演奏です。'97福工大附高を彷彿とさせるような金管が鳴りになったバンドにあった選曲。実に伸び伸びとした金管の音が心地よい。ベースがしっかりした、ある種オールド・ファン垂涎のどっしりしたピラミッドサウンドと、各々が持ち味をうまく発揮したブレンドされたサウンド。バンドのまとまりを感じられる秀演です!

(追記)11/8/11
コメントで指摘がありました通り屋比久先生の福工大附高赴任の年が一年間違っておりました。訂正いたします。ご指摘ありがとうございました!

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